あなたは、周りに悲しんでいる人がいたとき、どんな言葉をかけますか?
その人のためを思ってかけた言葉でも、状況によっては逆に苦しめてしまうことがあるかもしれません。
相手の気持ちを想像して声掛けするのって、すごく難しいよね。
今回は、私が悲しみのどん底にいたときにかけられて嫌だった言葉と、どんな対応をしてほしかったかということについてお話ししたいと思います。
私がかけられて嫌だった言葉
「かえって良かったじゃん」
軽い落ち込みであれば、こんな言葉も心が軽くなるかもしれません。しかし、不快悲しみの中にいる人にとってはとても受け入れられない言葉ではありません。
例えば、一生懸命勉強したにも関わらず第一志望の受験に失敗したとき。「かえって良かったよ」と言われたらどんな気持ちになりますか?
「受かるほうが良いに決まってるじゃん」「受からないのがかえって良いなんて、それなら受験しなきゃよかったじゃん」
こんな気持ちになりませんか?
「そんなに気にしなくていいのに」
「そんなに気にしなくていいのに」と言われても、悲しみのど真ん中にいる本人が気にしないでいられるわけがありません。大したことではないのに気にしすぎと言われているような気がしてしまいます。今までがんばってきたことを軽視されているような気がしてしまいますよね。
私はこれらの言葉を、夫や親戚からかけられました。みんな、勇気づけようとして言ってくれている気持ちはわかりますし、ありがたいとは思いました。しかし、その言葉によって「誰にもわかってもらえない」という絶望感を感じたのは確かです。
一生懸命やって失敗してしまったことに対して、かえって良かったことなんて1つもないし、気にしなくて良いようなちっぽけなことであるわけがないのです!そんな言葉は、当人に対して失礼なのです!!
どんな言葉をかければ良いの?
それでは、どのような言葉をかければ良いのか。私は、「残念だったね。でも頑張ったね。」という共感の言葉だと思います。一度共感したあとに、
- 「でもさ、考え方によってはかえって良かったのかもしれないよ」
- 「今は難しいかもしれないけど、長い目で見ればそんなに気にすることではないかもしれないよ」
などと言ってもらえると、前向きになろうという気持ちになりやすいのではないかと思います。
悲しんでいる最中に共感もせず「かえって良かった」などと言うと、あまりにも無神経だと思われてしまうかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。近くに悲しんでいる人がいたら、気持ちが楽になる言葉をかけてあげたいですよね。
せっかく優しい心で声掛けをしても、状況によってはかえって嫌がられてしまうかもしれないので、言葉選びは慎重にしたいものです。
ただ忘れてはいけないのは、悲しみを乗り越えるのは当の本人であるということ。本人が乗り越えるまで、温かい目で見守りながら、気持ちを楽にしてあげらえる言葉がけをしていきましょう。
本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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